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医・歯二元論と制度のあり方を考える 

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都 温彦
(福岡大学名誉教授・前医学部歯科口腔外科教授)

アメリカ合衆国における近代歯科学の歴史

4.アメリカに始まった医歯二元制度の流れと現況

 アメリカにおける近代歯科学の歴史的流れをみてみると,当初は社会的に認められる高い知的教養を備えた歯科医師であること,科学者そして考える歯科学生の教育などの目標が掲げられている.これらの目標は次第に達成に向けて努力され,滲透されたと思われる.
 研究面においては医学や自然科学,公衆衛生学などをとり入れた口腔内科学や口腔生物学などの新しい概念の歯科学が発達している.例えば,Hermann Becks (1897〜1962)は口腔生物学Oral biologyの種を播き,口腔生物学を現代の歯科学の教育と臨床に導入した.この口腔生物学の考えは歯科学教育と予防医学の分野に根をおろし,成長した比較的新しい分野である.
 このBasic scienceは解剖学,生理学,人類学,発育,成長などを総合して1つにしたものである.さらに生化学や微生物学を加えて歯・口腔・顎系統機能の実際面をとりあつかっている.
 Becksはドイツ生まれで,ロストック(Rostock)大学(1919年に創立されたドイツで最も古い大学の1つ)歯科(医)学科を卒業した.Dr. med. dent.(歯学博士)の学位論文は,出血素質の分類に関するものであった.このことが刺激となって全身疾患の口腔症状を研究するために医学課程に進み,1924(大正13)年にDr. med. (医学博士)を取得した.Becksはアメリカ合衆国,カリフォルニア州の歯科医師試験に合格してアメリカ市民になっている.
 彼の基礎的研究は,齲蝕要因の1つである唾液分泌とその成分を知ることから始まった.その結果,齲蝕症の最も有効な予防法は歯や口腔に対する糖質の制限と適切な歯や口腔の清掃法を組み合わせることが基本的に重要であると指摘した.この研究結果は現在も認められている.
 彼はまた,人間の生物学的基本原則と一般医学の基礎科学を歯科医療に適用させる“Dental Medicine”の概念を提唱した.この概念の範囲に関するBecksの独創的考えはカリフォルニア大学で1939(昭和14)年に承認された.しかし一般的にはDental Medicineの概念は受け入れられなかった.
 そこで彼は1951(昭和26)年にDental Medicineの用語と概念は,すべての歯科(医)学の基礎と医学の面を含むものではないという意味の声明を出し,口腔生物学の用語を提案した.Becksの口腔生物学の考えは広く認められている.
 このようなアメリカの近代歯科学の研究・学問の流れは,医学領域から歯科医学校,総合大学歯学部へと分離,独立した歯科学について,歯科学とは何か,というアイデンティティを考え,求める哲学が歯科学に携わる人たちに働いていたからではないかと考えられる.また歯科学の追求と発展のために,歯科医師がさらに医学を修め,あるいは医師が歯科学を修め,歯学部や歯科医師には自らアイデンティティや哲学,思想を歴史的に求め,変遷を重ねてきた落着きがあるように思われる.
 我が国においても100年来,継続してきた医歯二元論制度の在り方については,将来的在り方を自ら考え,時代とともに発展的に,状況に適合した変化をしなければならない時期に当面しているのではないか,と考えられる.かつて第二次世界大戦の最中であった昭和17年頃,全国的に起きた歯科医師による医歯一元化運動は,アメリカの歯科医学校の形式的在り方のみを模倣した歴史的経過において生じた医療的矛盾に対する指摘と改革を指向した画期的,自発的事件ではなかったか,と考えられる.
 アメリカには現況や時局にそぐわなかったり,必要が生じると歯学部の閉鎖も辞さず,調整するところがある.実例としては,1980年代の後半以降に歯学部を閉鎖した大学は,エモリィ,ジョージ・タウン,ノース・ウェスターン大学,その他2学部などがみられる.その理由には,応募学生の質の低下であり,そのような学生は歯科医療に対する責任上,入学をさせられないという考えがあり,国からの補助金の減額などがあげられている.
 2006年におけるアメリカの歯科医師数は179,595人であり,女性歯科医師数は35,444人で全体の19.7%である.2004年における我が国の歯科医師数は95,197人であり,女性歯科医師数は17,896人で全体の18.8%である.
 最近のアメリカの歯学部数は57校である.因みにカナダは10校である.2008年現在,我が国の歯学部数は29校である.
 現在,アメリカにおける歯学部入学生と卒業生との比率は入学生の約90%が卒業している.アメリカの歯学部学生の年度的推移は次の通りである.
 1)1950〜1965年(2009年からは59〜44年前)は歯学部への入学者数が3,226人から3,808人へ増加した.その間,新しい歯学部が創設され,42校から49校に増加した.
 2)団塊の世代の1965〜1978年(44〜31年前)は入学者が3,808〜6,301人へ急激に増加した(毎年平均5%増).そのため1978年には歯学部が60校に増加した.
 3)しかし,1978〜1989年(31〜27年前)には入学者数が激減し,1989年には入学者数が3,979人(2,322人減,36.9%減)となった.
 このような入学者数の減少に伴う国からの補助金の減額によって1989年には5つの歯学部が閉鎖または閉鎖の手続きに入った.
 しかし,その後,1989年からは入学者が再び,少しずつ増加し始め,2003年には4,618人(639人増)となった.この間,人口は1.2%増加しており,1歯学部が閉鎖し,3つの歯学部が創設された.
 そして1990年以降は1970年初頭とほぼ同数の卒業生の数へ推移している.

 以上のように,アメリカの歯学部や学生数は時代の状況による増減や調節が認められる(Eric S. Solomon, DDS, MA:The Future of Dentistry, ETS dental. Part 1 of a 4 Part Senies, http://www.etsdental.com/articles/future1.htm による).



医・歯二元論と制度のあり方を考える 

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都 温彦
(福岡大学名誉教授・前医学部歯科口腔外科教授)

アメリカ合衆国における近代歯科学の歴史

3.アメリカに始まった医歯二元論制度の現況


 現在,アメリカの歯科医師にはDDSかDMDか,いずれかの称号が与えられている.この両者の称号は調和的に受け入れられている.そして現在の歯学部の理念はHealth Scienceとしての名のもとに置かれている.しかしながら部外者からみた歯科臨床の雰囲気は健康科学としての保護的優しさや明るさよりも機械製造業的あるいは無機的そして怖い所という印象を与えているのではないかと思われる.このようなことは歯科学の本質ではなく,歯科治療処置や方法がSurgicalであり,Mechanicalである場合が多いからである.残念ながら歯科治療の処置,方法が歯科学臨床の本質のように世間的に誤って受け取られているところがある.
 臨床医学としての歯科学の本質は,先ず患者の悩みとなっている歯や口腔,顎の身体的,心理的障害を理解することであり,診断することである.次に自覚的,他覚的障害の原因である器質的病変や心理的社会的要因,全身的障害などの改善を図ることである.同時に歯や口腔,顎などの局所的障害によって何らかの不利な影響を受けていた心身面の健康が改善されることである.そして患者の健康面におけるニーズや不安,苦痛に応えることが健康科学であると考えられる.
 現代の歯科学臨床は,患者の歯を診て,考えることよりも先に治療的な手あてや技術が働くという古典的な臨床の時代ではなくなっている.
 アメリカにおいては,日本にみられるような医科と歯科との組織構造的対立や職業的身分差ほとんどないように思われる.これにはアメリカのDental Schoolが1867年に名門大学として知られるハーバード大学に創設され,そしてペンシルべニア大学の歯学部にならい次々と総合大学の歯学部が設立されてゆくことになり,医科と歯科との学歴的身分差がなくなったことがあげられよう.またアメリカにおける医療費は私費であり,個人の費用は民間保険制度によって支払われる.補綴治療の場合,歯学部学生が作製した金属冠は425$,歯科医は800$,補綴専門医は1000$であるといわれる.そこで専門医資格を得て御得意の金持ちの患者を持つと裕福な歯科医になることが出来る.
 医療の場合の一般的相場については,腸の手術は5万$,約500万円強であり,1日,1泊の入院費だけで30万円かかるということであった.盲腸の手術は100万円位が請求される.また現金で支払うことになるとhome doctorを通して値段交渉が行われ,いくらか値段が安くなった,という話も聞かれた.
 ある人が風邪を引いたので保険なしの自由診療の受診を行ったところ問診だけで3万円の請求があったという.
 アメリカは税金を払い合法的に住んでいる人では65歳以上になると医療費の70%を国が負担してくれる.そして30%が自己負担となるが,この30%をカバーしてくれる保険もある.65歳以下の人は100%私費負担であるので, 20%前後の人達が医療の民間保険に加入していないといわれる.とくに低賃金で雇われる人達には保険加入できない状況がある.ちなみに医療の民間保険料は月に10万円程度であるといわれる.アメリカは65歳になれば医療費の負担は楽になるという.
しかし歯科だけは医療とは異なる制度になっており,民間保険だけであるという.その点,日本の国民は皆保険制度になっており,先進医療についても,皆保険制度のもとにとり入れられる機会がある.
 このように両国の医療制度には違いがあり,それによって,本来共通すべき歯科学の進歩において違いが認められる.この他,ヨーロッパに誕生した近代歯科学が医師や医学に関連する人達によるものであったという歴史的認識もあったと思われる.我が国においても欧米の文明開化による教育制度の改革が施行される明治維新以前では,歯や口腔に関する学歴や身分や学問的な差はなかった.江戸前期の儒学者であり教育家,医者であった貝原益軒は「養生訓」や「日本歳時記」の中で,人間の健康生活における歯の重要性を謳っている.
 現在のアメリカの総合大学の歯学部は医学の一分科としての歯科学講座が分離,独立した形態で存在していると考えられる.このようなことから歯学部あるいは歯科医学校だけが独立的に存在しているところはなく,医学部と共に歯学部は存在しているというのが,アメリカの医学教育事情に詳しい人の話であった.したがって通算8年の制度であるアメリカの医学部と歯学部では,学部進学前に4年間の単科大学あるいは総合大学で教育を受けてBachelor of ArtsかBachelor Scienceの称号を得て医療者としての人間的,社会的教養と人間性を身につけることが求められている.このようなことは医師と歯科医師について同様に求められる医療者としての素養であると考えられる.
 かつて我が国の歯科医師養成の教育制度はこの分離,独立した歯科医学校,歯学部の表面的な制度の姿をみて医学と歯学とは異なるものであるという誤解と偏見をいだいたのではないかと思われる.

医・歯二元論と制度のあり方を考える 

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都 温彦
(福岡大学名誉教授・前医学部歯科口腔外科教授)


アメリカ合衆国における近代歯科学の歴史

2.DDSとDMDにみられる歯科学の理念


 世界最初のBaltimore College of Dental Surgeryは歯科外科的特徴をもっていたことが校名により示唆される.それに加えて機械器具や道具を用いての技術的要素が強く,歯科学が歯に対する無機的学問あるいは治療として映り,医学がもっている生命観や人間性や生物学的面や病態の追求そして癒しの心などとは離れたものとしての印象を世間に与えたのではないかと思われる.
 当初の歯科医学校卒業時に授与されるDDS(Doctor of Dental Surgery)の称号は,歯科外科医としての歯科医師であることを謳った言葉であると思われる.
 その後,より高い知的教養と学問と研究者としての素養を身につけた歯科医師を育てるために,ハーバード大学やペンシルベニア大学などの名門大学をはじめとして総合大学において歯学部が創設されることになった.このことは医学の一分科としての歯科学講座が総合大学の中の歯学部に成り代わった姿ではないかと考えることができる.このような理由としてはハーバード大学やペンシルベニア大学のアメリカ東部における一部の歯学部では卒業するとDMD(Doctor of Dental Medicine)の称号が授与される.その理念には医学として歯科学を修めた者であるという意味が窺える.
 つまり,アメリカでは歯学部を卒業すると,「DDS」,「DMD」のいずれかの称号を与えられるが,両者の社会的評価には全く差は認められない.しかし,ここにはアメリカにおける歯科医学校の歴史的経緯による歯科学の理念を窺い知ることができる.すなわち初期の歯科医学校におけるSurgicalそしてMechanicalな歯科医療の特性は,総合大学の歯学部になってからは,それまでの歯科学に医学知識や科学的基礎医学,口腔生物学,自然科学,哲学や社会文化的な知的素養,多民族社会における文化性を考慮した歯科公衆衛生学,行動心理学,歯や口腔の内科的,そして心因性症状や疾患などの発見,歯科学に関連する必要な分野の幅を広げることによって,次第により濃く,厚さを増し充実発展できたという時代的経過を考えることができる.
 したがって,DDSの称号は初期のカレッジとしての歯科医学校の歴史的理念を基盤にしたものであり,DMDの称号は総合大学の歯学部あるいは歯科医学校が知的な高等教育そして歯科学が生物学,自然科学,公衆衛生学などにおいて高い医学的レベルの研究を目指す理念の表れとして授与される称号であったと考えられる.このような歯科学における2つの理念の流れが考えられる.
 現在,世界の多くの国では,歯科学を独立した教育機関で教えているところが多い.しかし医学の中の専門分野として医師を目指す人と同等に教育しているか,または医師になった後にさらに歯科学を一定の期間専攻させている国もある.ロシア,ユーゴスラビア,ハンガリー,オーストリー,イタリア,ベルギー,フランスなどでは医師の資格を得た後に,多くは短期間の教育で,歯科専門医(口腔科医)の資格が与えられるところもある.
 歯科医療やその職種の法的規制そして歯科学教育制度の在り方は,とくにヨーロッパ諸国では各国の医学や歯科学の発展の歴史的事情によって異なっており,理解するのに難しいところがある.その点,アメリカに始まった医歯二元論制度はすっきりとして分かりやすいが,同時に利点と欠点も考えてみなければならない.
 一昨年,アメリカのUCLA歯学部のPublic Heath & Community DentistryのMarvin Marcus教授を訪ねたとき「自分はスペインからやってきたが,スペインや東ヨーロッパでは医学部を卒業してから歯科学を選び,歯科医師になっていた.最近ではアメリカに倣い,スペインは医歯二元論制度になっている」とのことであった.
 このことは,何を意味しているのだろうか.医学部の歯科学講座の中だけでは歯科医師を教育するのに充分な設備や時間が足りないからではないかと思った.歯科医師となる学生,研究者として,あるいは臨床家として育成することは医学部の一分科だけの制度では充分ではなかった,ということであろうか.

医・歯二元論と制度のあり方を考える 

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都 温彦
(福岡大学名誉教授・前医学部歯科口腔外科教授)


アメリカ合衆国における近代歯科学の歴史

1.近代歯科学の歴史的歩み
 ―医・歯二元論制度の意義,理念を考える―


アメリカ合衆国における近代歯科学発展の端緒は,世界に類のない歯科医学校を創立したことである.この世界最初のボルチモア歯科医学校設立の経緯は,当初メリーランド大学の医学部において医師として歯科医療を行う歯科専門標榜医を養成することであった.しかし,ハイデンとハリスが目指した理念は大学医学部の管理当局から受け入れられなかった.その理由は,医学部教育の中で歯科医学講座を設けるには歯科医療が余りにも機械的,外科的に偏り過ぎていることや,歯科医療の社会的評価が低かったことがあげられた.
 このボルチモア歯科医学校をはじめとする初期の単科としての歯科医学校を模範にして,我が国の歯科医学専門学校制度が導入された.それも,昭和3年(1928)10月に国立の東京高等歯科医学専門学校が設立されるまでは,私立の歯科医学校が我が国の歯科医師の育成教育を担っていた.
 初期のアメリカの歯科医学校(College of Dental SurgeryまたはDental School)は歯科医療をより高い医業として社会的評価を得るための努力を行った.やがて,1867年に総合大学である名門のハーバード大学に歯学部が創設されることによって,歯科医学教育を高等教育に向上する役割を果たした.そして1878年にはペンシルバニア大学に歯学部が設けられた.
 こうしてアメリカの歯科学は高い学歴のもとで研究や教育が行われるようになり,歯科医師は高い教養のある職業として社会的評価を得るようになった.また,ヨーロッパにおいてもアメリカの歯科学の名声が高まった.例えば,ペンシルベニア大学はアメリカで最もすぐれた歯科医学教育と研究機関の1つに数えられており,1941年,口腔内科学を新設しており,歯科学を医学の一部としてとらえている.
 また,当時の著名な歯学部の数指の1つにあげられるノースウエスタン大学歯学部長として1897年に就任したブラック(Green Vardiman Black,1836〜1915)は,歯科手術学,歯科病理学の教授であった.とくに器械学については天才的な能力をもっていたといわれる.また,彼は窩洞に名称をつけ窩洞形成を規格化したことで知られる.
 ブラックの歯科学に対する哲学は,自然科学すなわち物理学,化学,生物学,地学(天文学),などの知識を基礎にして,歯科技術に生物学の原則を適応することであった.そして自然科学の知識は,臨床に携わるすべての歯科医師に必要であることを強調した.このことがなければ,ただの技術者か職人にすぎないと説いた.
 アメリカの近代歯科学草創期の指導者には,医師と歯科医師との資格をもち歯科学の教育,研究に興味と情熱を注いだ人達がいた.このような人達の努力によって,歯科学の発展や歯科医師の社会的評価の向上があったことも見逃すことができない.このようなことは,新しい国であるアメリカ合衆国ではヨーロッパのように医科と歯科との間に職業的身分差がなく,新しい近代歯科学に対する興味と関心,そして新興の情熱をもった医師,歯科医師との間に分け隔てなく歯科学発展に貢献することができたことによる,と考えられる.
 まずアメリカの近代歯科学の基礎は,独立戦争のとき援軍にきたフランスの従軍軍医であり,歯科医師であった人達によって伝えられた.そして彼らによって,ヨーロッパの近代歯科学の治療術が東部に広がり,やがて医・歯二元制度を作ることになった.
 初期の歯科医療の特徴は,surgical,そしてmechanicalであった.この特徴は,現在の我が国や世界の一般的歯科医療の特徴として存在している.Surgical(外科的)な手法は口腔組織・器官に対する非可逆的な抜歯,歯牙切削,切開,切除,摘出を意味している.そしてmechanical(機械的)な手法は,補綴物や歯科矯正治療,顎骨骨折・歯周病治療における固定装置などの器具,器械を用いる治療技術を意味している.


医・歯二元論と制度のあり方を考える 

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都 温彦
(福岡大学名誉教授・前医学部歯科口腔外科教授)


アメリカ合衆国における近代歯科学の端緒

7)アメリカにおける歯科医学校の創立とその後の変遷と理念および医学との関連性

ペンシルベニア大学歯学部の例について―1


世界最初の歯科医学校は1840年にアメリカのBoltimoreに創立された.学歴の程度としては我が国の旧制の専門学校あるいは実業学校に相当したと思われる.現在アメリカでは単科大学だけの歯科大学はなく,歯科医学は大学教育になっている.そして歯科医学教育機関は,すべて総合大学の学部で行われている.
現在,アメリカの歯学教育修業年限は歯学部進学前に4年間の単科大学あるいは総合大学で教育を受けBachelor of ArtsかBachelor of Scienceの称号を得てから歯学部の学修課程の4年間に入ることができる.その課程が終わるとD.D.S.かD.M.D.の称号が授与される.この8カ年の課程は医学部においても同じである.
歯学生を教育するには“できる歯科医師”すなわち秀れた技術,そして“考える歯科医師”すなわち哲学をもった歯科医師を養成するために知的探究の習慣をつけることを教える.そして考える歯科医師は4カ年の歯学部進学前の大学課程で,できる歯科医師は4カ年の歯学部専門課程で教育するようになっている.
初期のアメリカの歯科医学校は単科のCollege of Dental Surgeryとして存在していたが,次第に総合大学Universityの歯学部として現在はSchool(College)of DentistryあるいはSchool of Dental Medicine,School of Dental&Oral Surgery,College of Dental Medicine Medical Universityなどの名称で呼ばれるようになった.
このように歯科医業が教養のある知的専門職業としての社会的地位を得る努力を稔らせてきた.
ここで再度,1840年における初期の歯科医学校創立から19世紀後半に溯り,20世紀初頭のアメリカの歯科医学の勃興と発展の道を辿りながら歯科学の理念についても考えてみたいと思う.
ハーバード大学の歯学部の創立(1867年)に次いで,1878年にはペンシルベニア大学歯学部が設立した.開校当初はSchool of Dentistryの名称で,卒業時に授与される称号はDoctor of Dentistryの名称で,Doctor of Dental Surgery(D.D.S.)であった.ペンシルベニア大学では1961年から,歯学部の名称をハーバード大学のように,the School of Dental Medicineに変え,1965年の卒業生からD.M.D.の称号を与えるようになった.
ペンシルベニア大学歯学部はアメリカで最もすぐれた歯科医学教育,そして研究機関の1つとして知られている.
19世紀のはじめ頃,アメリカの大部分の歯科医師たちは歯を充填して保存することを無視して抜歯する傾向があった.その後,充填法を改善し,保存歯科学の道を開いた.
19世紀になり,歯科医師は急速に社会的地位が認められるようになった.そのうちアメリカの歯科治療は海外にも認識されるようになった.とくにヨーロッパ大陸の主な都市では歯科医療の需要が高まり,それに応じてアメリカの歯科医師がヨーロッパへ移住するようになった.そのなかでもウィロビー・ミラー(Willoughby D. Miller,1853~1907)はベルリン大学の教授に就任し,ドイツ皇室の歯科侍医に任命された世界的に有名な学者である.またフィラデルフィア出身のトーマス・エバンス(Thomas W. Evans,1823~1897)はナポレオン3世(在位1852~1870)の宮廷に仕えた.
歯科医学を今日の状態に発展させる指導的役割を演じたのは,ヨーロッパではドイツのベルリン大学,アメリカではペンシルベニア大学とノースウェスタン大学があげられる.ベルリン大学歯科学教室は1884年に開設され,口腔外科ブッシュ(Friedrich Busch)教授,保存歯科ミラー(W.D.Miller)教授,補綴歯科はザウェル(Carl Sauer)教授の3つの部からなり,3人の教授がそれぞれの指導者であった.ドイツで32カ年を過ごしたミラーは1907年には,ミシガン大学歯学部長として招かれ,アメリカに帰ったが同年不幸にして死去した.
ミラーはコッホ(Koch)について細菌学を研究した.とくに「口腔の微生物学 (Die Mikroorganism der Mundhohle)」(1889)は広く知られている.そのほか歯科病理学,保存歯科治療学の領域でも多くの論文を発表した.そして「保存歯科治療学教科書(Lehrbuch der Konservierende Zahnheilkunde)」(1896)はヨーロッパでは入門書として多くの人々に読まれた.
ミラーの努力は歯科学を自然科学として成立させるのに役立ち,歯科学の学術的発達に大きく貢献した.
19世紀の末葉にはヨーロッパの学生がアメリカの歯科医学校へ留学するようになり,歯科医学におけるヨーロッパとアメリカとの移り変わりも見られるようになった.

備考)全身麻酔法の発見
近代の外科手術の進歩を促したものは手術時の止血法,無痛法,細菌感染から制禦法の発見であったといわれる.多くの歯科処置には痛みの苦痛を伴うので,歯科医師は無痛的処置が行える麻酔薬を探していた.
1844年,ホーレス・ウェルス(Horace G.Wells)は亜酸化窒素(笑気),そして1846年にはウィリアム・トーマス・グリーン・モートン(William Thomas Green Morton)はエーテルを患者に吸引させて抜歯を行い,無痛法を公開した.ウェルスとモートンはアメリカにおける全身麻酔を行った先駆者であるとされている.両人とも開業歯科医師であるが,晩年は不幸であった.
我が国ではウェルスやモートンそしてイギリスのJames Yang Simpson(1811~1870)がクロロホルムを1847年に産科手術に応用した時よりも,おおよそ40年前に華岡青洲が全身麻酔を世界に先がけ1804年60歳,女性の乳癌の無痛手術を行い,成功した.
華岡青洲の全身麻酔が欧米に先んじていながら,広まらなかったのは,そのことを秘伝として,公開せず内輪の人だけに教える傾向があったからだといわれる.







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