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医・歯二元論と制度のあり方を考える 

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都 温彦
(福岡大学名誉教授・前医学部歯科口腔外科教授)

我が国における医歯二元論制度のあり方を考える

1.はじめに ─歯学部・歯科医学校の哲学─

アメリカに始まった医学から分離,独立した歯学部・歯科医学校には理念や思想的目標に関する流れが存在している.その理由には歯科学が医学という母体から分離,独立したために哲学的拠(よりどころ)と医学的理念を失ない,その結果,根無し草的な宙ぶらりんの状態になったことが考えられる.そこで,歯科医学あるいは歯科医師とは何か,というアイデンティティの確立が必要であったと思われる.新しいアメリカ合衆国においては医学や歯科医学をはじめ,新しい分野について開拓精神と希望やリーダーシップに関する理念が必然的に求められたことであろう.
 近代医学はルネ・デカルト(1596〜1650)の心身二元論によって科学的発展を遂げることになった.デカルトは人間を「考える精神」と「延長ある物体(身体)」とを相互に独立した実体とする二元論の哲学を樹立した.すなわち,心と身とは分離して考えることができる.眼に見えることができない精神は分離できないので精神医学として独立することになった.そして眼に見え,客観的に確かめることができる身体はその部だけを分離,独立させて認識してよいことを唱えた.そこで身体を分離して,独立した部分を科の学問として追求する科学が生まれ,発展した.しかし科学には,全体を考えるという視野に欠ける面が後に誤ちを犯すという点も持っている.科学は部分的現象を明らかにする学問である.
 このように考えると,我が国の医歯二元論制度は歯科学を医学と分離,独立することによって身体医学としての科学を効果的に発展させることができたと思われる.しかし歯や口腔局所だけを陸の孤島として対応する視野は,心身の全身的全体像との関係に眼を閉じてしまった観がある.そして「歯や口腔」と「全身各臓器」との有機的関連性や生命体としての発生や進化などについて総合的に考える分野を置き去りにしたのではないかと思われる.これからの歯科学は歯という木だけを見るのではなく,木と森とを見て木のことを考える必要がある.そこに,歯科学と臨床については医歯一元論的視野と何らかの制度改革が求められる所以がある.科学が進歩していくと,その分野の知見は次第に深く,狭く,そこだけが詳しくなっていく.そこで科学的知見や科学技術については,信頼性の吟味や全体的,統合的に考える哲学が必要になってくる.
かつてアメリカ初期の歯科医学教育は,歯科医療が社会的に認められる歯科医師を教育することであった.その最も手軽で速い方法はできるだけ医学教育を真似ることであった.このようなことから,歯科医学教育の学科課程の一部には解剖学,組織学,生理学,微生物学,病理学総論などがとり入れられた.しかし,これらの学科目の大部分は歯科医学に理解のない医師たちが教えたので,結果的には歯学部学生の理解が得られなかった.学生たちは何故,歯科医師になるのに,このような学科目が必要なのかという疑問が生じた.このことは教えている医師だけでなく学生たちからも不満の声が聞かれ,これらの学科目を学ぶ学生の意欲低下に及んだ.
しかし今日では,歯や口腔病変の原因や病的過程の変化を,医学の基礎科学知識を用いて関連性を理解したり,裏付けをもって考えるようになっている.このようなことはアメリカにおいても我が国においても近代歯科医学が専門的歯科学と基礎医学,生物学,社会科学などとの関連性を成熟させて発達していることを示唆している.
 かつて我が国における歯科学教育においてもアメリカと同様の歯科学と乖離した基礎医学や関連医学の講義があったが,中には興味と感銘を覚えた講義もあったことが筆者には思い出される.
 現代の我が国における医歯二元論制度における制度の在り方については,利点と欠点そして矛盾が生じている.今ここで改めて,その在り方を反省し,将来的展望を考えてみる必要はないだろうか.そこに本テーマの本質があると思う.

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