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医・歯二元論と制度のあり方を考える 

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都 温彦
(福岡大学名誉教授・前医学部歯科口腔外科教授)


アメリカ合衆国における近代歯科学の端緒

7)アメリカにおける歯科医学校の創立とその後の変遷と理念および医学との関連性

ペンシルベニア大学歯学部の例について―1


世界最初の歯科医学校は1840年にアメリカのBoltimoreに創立された.学歴の程度としては我が国の旧制の専門学校あるいは実業学校に相当したと思われる.現在アメリカでは単科大学だけの歯科大学はなく,歯科医学は大学教育になっている.そして歯科医学教育機関は,すべて総合大学の学部で行われている.
現在,アメリカの歯学教育修業年限は歯学部進学前に4年間の単科大学あるいは総合大学で教育を受けBachelor of ArtsかBachelor of Scienceの称号を得てから歯学部の学修課程の4年間に入ることができる.その課程が終わるとD.D.S.かD.M.D.の称号が授与される.この8カ年の課程は医学部においても同じである.
歯学生を教育するには“できる歯科医師”すなわち秀れた技術,そして“考える歯科医師”すなわち哲学をもった歯科医師を養成するために知的探究の習慣をつけることを教える.そして考える歯科医師は4カ年の歯学部進学前の大学課程で,できる歯科医師は4カ年の歯学部専門課程で教育するようになっている.
初期のアメリカの歯科医学校は単科のCollege of Dental Surgeryとして存在していたが,次第に総合大学Universityの歯学部として現在はSchool(College)of DentistryあるいはSchool of Dental Medicine,School of Dental&Oral Surgery,College of Dental Medicine Medical Universityなどの名称で呼ばれるようになった.
このように歯科医業が教養のある知的専門職業としての社会的地位を得る努力を稔らせてきた.
ここで再度,1840年における初期の歯科医学校創立から19世紀後半に溯り,20世紀初頭のアメリカの歯科医学の勃興と発展の道を辿りながら歯科学の理念についても考えてみたいと思う.
ハーバード大学の歯学部の創立(1867年)に次いで,1878年にはペンシルベニア大学歯学部が設立した.開校当初はSchool of Dentistryの名称で,卒業時に授与される称号はDoctor of Dentistryの名称で,Doctor of Dental Surgery(D.D.S.)であった.ペンシルベニア大学では1961年から,歯学部の名称をハーバード大学のように,the School of Dental Medicineに変え,1965年の卒業生からD.M.D.の称号を与えるようになった.
ペンシルベニア大学歯学部はアメリカで最もすぐれた歯科医学教育,そして研究機関の1つとして知られている.
19世紀のはじめ頃,アメリカの大部分の歯科医師たちは歯を充填して保存することを無視して抜歯する傾向があった.その後,充填法を改善し,保存歯科学の道を開いた.
19世紀になり,歯科医師は急速に社会的地位が認められるようになった.そのうちアメリカの歯科治療は海外にも認識されるようになった.とくにヨーロッパ大陸の主な都市では歯科医療の需要が高まり,それに応じてアメリカの歯科医師がヨーロッパへ移住するようになった.そのなかでもウィロビー・ミラー(Willoughby D. Miller,1853~1907)はベルリン大学の教授に就任し,ドイツ皇室の歯科侍医に任命された世界的に有名な学者である.またフィラデルフィア出身のトーマス・エバンス(Thomas W. Evans,1823~1897)はナポレオン3世(在位1852~1870)の宮廷に仕えた.
歯科医学を今日の状態に発展させる指導的役割を演じたのは,ヨーロッパではドイツのベルリン大学,アメリカではペンシルベニア大学とノースウェスタン大学があげられる.ベルリン大学歯科学教室は1884年に開設され,口腔外科ブッシュ(Friedrich Busch)教授,保存歯科ミラー(W.D.Miller)教授,補綴歯科はザウェル(Carl Sauer)教授の3つの部からなり,3人の教授がそれぞれの指導者であった.ドイツで32カ年を過ごしたミラーは1907年には,ミシガン大学歯学部長として招かれ,アメリカに帰ったが同年不幸にして死去した.
ミラーはコッホ(Koch)について細菌学を研究した.とくに「口腔の微生物学 (Die Mikroorganism der Mundhohle)」(1889)は広く知られている.そのほか歯科病理学,保存歯科治療学の領域でも多くの論文を発表した.そして「保存歯科治療学教科書(Lehrbuch der Konservierende Zahnheilkunde)」(1896)はヨーロッパでは入門書として多くの人々に読まれた.
ミラーの努力は歯科学を自然科学として成立させるのに役立ち,歯科学の学術的発達に大きく貢献した.
19世紀の末葉にはヨーロッパの学生がアメリカの歯科医学校へ留学するようになり,歯科医学におけるヨーロッパとアメリカとの移り変わりも見られるようになった.

備考)全身麻酔法の発見
近代の外科手術の進歩を促したものは手術時の止血法,無痛法,細菌感染から制禦法の発見であったといわれる.多くの歯科処置には痛みの苦痛を伴うので,歯科医師は無痛的処置が行える麻酔薬を探していた.
1844年,ホーレス・ウェルス(Horace G.Wells)は亜酸化窒素(笑気),そして1846年にはウィリアム・トーマス・グリーン・モートン(William Thomas Green Morton)はエーテルを患者に吸引させて抜歯を行い,無痛法を公開した.ウェルスとモートンはアメリカにおける全身麻酔を行った先駆者であるとされている.両人とも開業歯科医師であるが,晩年は不幸であった.
我が国ではウェルスやモートンそしてイギリスのJames Yang Simpson(1811~1870)がクロロホルムを1847年に産科手術に応用した時よりも,おおよそ40年前に華岡青洲が全身麻酔を世界に先がけ1804年60歳,女性の乳癌の無痛手術を行い,成功した.
華岡青洲の全身麻酔が欧米に先んじていながら,広まらなかったのは,そのことを秘伝として,公開せず内輪の人だけに教える傾向があったからだといわれる.





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