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医・歯二元論と制度のあり方を考える 

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都 温彦
(福岡大学名誉教授・前医学部歯科口腔外科教授)


アメリカ合衆国における近代歯科学の端緒

6)アメリカ合衆国における歯科医学校の創立とその事情―その3―

ハーバード大学歯学部の創設の意義に関して

アメリカにおける初期の歯科医学校設立者たちは歯科学教育問題の解決や改善を行い,歯科医師を眼科医師などの専門医と同じ程度にすることを目論んでいた.しかし学生や歯科医学校の数が増すにしたがって,商業的営利主義が歯科医学校経営者たちに浸透するようになった.そして歯科医学校の教育程度は後退し,低くなった.
歯科医学校教育程度の後退と低下は,心ある歯科関係者たちには,歯科学が医学から分離,独立したのは大きな間違いではなかったかという反省の意見が各所で起こった.
因みに,最初の歯科医学校の修業年限は1カ年程度で,授業日数はきわめて短く,入学者の資格は小学校卒業程度のものでよかったといわれる.そして1867年にハーバード大学の歯学部ができた時の修業年限は2カ年にあらためられた.この当時はどこの州にも,まだ歯科医師法はなく,だれでも自由に歯科医業を行うことができた.
しかし,1860年代頃から歯科医業を規制する歯科医師法の立法化や歯科医師の資格試験あるいは歯科医学校卒業免許証を必要とする法律が制定されるようになった.
このような状況のなかで,南北戦争(1861~1865)後まもなく,ハイデンやハリスと同じ精神をもったボストン市の歯科医師たちが,ハーバード大学医学部・医学校に歯科学講座を設けることを望むようになった.そのことが契機となり,思いのほか突然にハーバード大学の1学部として歯科医学校を創設する計画に進展した.
そして1867年に医学部と緊密な関係をもったハーバード歯科医学校
 Harvard Dental Schoolが創設された.修業年限は2カ年であった.最初の校長は,ナサーン・クレー・キープ(Nathan C.Keep,1800~1875)が就任した.キープの名はハイデンとハリスとともにアメリカ歯科医学教育の建設者の1人として注目される.
キープは徒弟として歯科医術を学び,その後ハーバード医学校に入学した.1827年に卒業してDoctor of Medicine の称号を得た.しかし医業は行わなかった.
注)Medicineは医学,医術,外科(surgery)に対し内科のことをいう.
キープは歯学が医学から分離,独立した職業として認められた後も,歯科医業を行うことに先立つ医学教育の必要性を熱心に主張した.そして歯科医業を教養のある知的職業にするために絶えず努力した.
ハーバード歯科医学校はニューイングランド地方における最初の歯科医学校であり,総合大学の学部として設けられた最初のものである.卒業生にはDoctor of Dental Medicine(D.M.D.)の称号が1869年から与えられた.
現在,アメリカでは一般的に東部では歯科医師の称号はD.M.D.,西部ではD.D.S.の称号が用いられているようである.
ハーバード大学に歯科医学校が創立されたことは歯科医学教育を高等教育として育てる画期的な出来事であった.
大学教育のなかに歯科(医)学の学科課程を含ませたことはハーバード大学が先駆者であった.そして高等教育機関に歯科医学教育を公認させたことは,歯科医師や歯科医業が社会的に教養のある知的職業であることを印象づけ,啓発することに大きな貢献をしたことになったと思われる.
その後,1878年にはペンシルベニア大学歯学部が開校した.修業年限は2カ年の課程であったが,1891年の学生は修業年限を3カ年に延長し,1896年にはさらに8カ月延長し,1903年からは4カ年になった.このことはアメリカの歯科学が次第に力をつけて学問的内容が充実し,歯学生への教育時間が必要になってきたことを意味している.
とくに1895年,ペンシルベニア大学歯学部の3代目の学部長に就任したカーク(Edward C.Kirk,1856~1933)は1873年にペンシルベニア大学歯学校を卒業した有能な学者であり,教育者であった.多数の論文を発表し,著書を出版した.
カークは1895~1917年まで学部長を務め,歯科医業を知的専門職とし,歯科学のレベル向上を唯一の目標にして,学生の入学資格として4カ年のハイスクール(高等学校)修業年限,歯科医学校の4カ年の修業年限,学科課程の改善と歯学教育の向上,歯科医師のための大学院の設置など,長年にわたり努力した.
カークが歯学部長に就任し,学部の管理と経営に携わるようになってからペンシルベニア大学歯学部は歯科学教育の国際的名声を高め多数の外国人留学生が集まるようになった.
 

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