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歯と川柳 

川柳090128_530
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[ 2009/01/30 09:58 ] 歯と川柳(大庭 健) | TB(0) | CM(0)

医・歯二元論と制度のあり方を考える 

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都 温彦
(福岡大学名誉教授・前医学部歯科口腔外科教授)

我が国における医歯二元論制度のあり方を考える

1.はじめに ─歯学部・歯科医学校の哲学─

アメリカに始まった医学から分離,独立した歯学部・歯科医学校には理念や思想的目標に関する流れが存在している.その理由には歯科学が医学という母体から分離,独立したために哲学的拠(よりどころ)と医学的理念を失ない,その結果,根無し草的な宙ぶらりんの状態になったことが考えられる.そこで,歯科医学あるいは歯科医師とは何か,というアイデンティティの確立が必要であったと思われる.新しいアメリカ合衆国においては医学や歯科医学をはじめ,新しい分野について開拓精神と希望やリーダーシップに関する理念が必然的に求められたことであろう.
 近代医学はルネ・デカルト(1596〜1650)の心身二元論によって科学的発展を遂げることになった.デカルトは人間を「考える精神」と「延長ある物体(身体)」とを相互に独立した実体とする二元論の哲学を樹立した.すなわち,心と身とは分離して考えることができる.眼に見えることができない精神は分離できないので精神医学として独立することになった.そして眼に見え,客観的に確かめることができる身体はその部だけを分離,独立させて認識してよいことを唱えた.そこで身体を分離して,独立した部分を科の学問として追求する科学が生まれ,発展した.しかし科学には,全体を考えるという視野に欠ける面が後に誤ちを犯すという点も持っている.科学は部分的現象を明らかにする学問である.
 このように考えると,我が国の医歯二元論制度は歯科学を医学と分離,独立することによって身体医学としての科学を効果的に発展させることができたと思われる.しかし歯や口腔局所だけを陸の孤島として対応する視野は,心身の全身的全体像との関係に眼を閉じてしまった観がある.そして「歯や口腔」と「全身各臓器」との有機的関連性や生命体としての発生や進化などについて総合的に考える分野を置き去りにしたのではないかと思われる.これからの歯科学は歯という木だけを見るのではなく,木と森とを見て木のことを考える必要がある.そこに,歯科学と臨床については医歯一元論的視野と何らかの制度改革が求められる所以がある.科学が進歩していくと,その分野の知見は次第に深く,狭く,そこだけが詳しくなっていく.そこで科学的知見や科学技術については,信頼性の吟味や全体的,統合的に考える哲学が必要になってくる.
かつてアメリカ初期の歯科医学教育は,歯科医療が社会的に認められる歯科医師を教育することであった.その最も手軽で速い方法はできるだけ医学教育を真似ることであった.このようなことから,歯科医学教育の学科課程の一部には解剖学,組織学,生理学,微生物学,病理学総論などがとり入れられた.しかし,これらの学科目の大部分は歯科医学に理解のない医師たちが教えたので,結果的には歯学部学生の理解が得られなかった.学生たちは何故,歯科医師になるのに,このような学科目が必要なのかという疑問が生じた.このことは教えている医師だけでなく学生たちからも不満の声が聞かれ,これらの学科目を学ぶ学生の意欲低下に及んだ.
しかし今日では,歯や口腔病変の原因や病的過程の変化を,医学の基礎科学知識を用いて関連性を理解したり,裏付けをもって考えるようになっている.このようなことはアメリカにおいても我が国においても近代歯科医学が専門的歯科学と基礎医学,生物学,社会科学などとの関連性を成熟させて発達していることを示唆している.
 かつて我が国における歯科学教育においてもアメリカと同様の歯科学と乖離した基礎医学や関連医学の講義があったが,中には興味と感銘を覚えた講義もあったことが筆者には思い出される.
 現代の我が国における医歯二元論制度における制度の在り方については,利点と欠点そして矛盾が生じている.今ここで改めて,その在り方を反省し,将来的展望を考えてみる必要はないだろうか.そこに本テーマの本質があると思う.

歯と川柳 

20090107
[ 2009/01/07 20:23 ] 歯と川柳(大庭 健) | TB(0) | CM(0)

医・歯二元論と制度のあり方を考える 

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都 温彦
(福岡大学名誉教授・前医学部歯科口腔外科教授)

アメリカ合衆国における近代歯科学の歴史

4.アメリカに始まった医歯二元制度の流れと現況

 アメリカにおける近代歯科学の歴史的流れをみてみると,当初は社会的に認められる高い知的教養を備えた歯科医師であること,科学者そして考える歯科学生の教育などの目標が掲げられている.これらの目標は次第に達成に向けて努力され,滲透されたと思われる.
 研究面においては医学や自然科学,公衆衛生学などをとり入れた口腔内科学や口腔生物学などの新しい概念の歯科学が発達している.例えば,Hermann Becks (1897〜1962)は口腔生物学Oral biologyの種を播き,口腔生物学を現代の歯科学の教育と臨床に導入した.この口腔生物学の考えは歯科学教育と予防医学の分野に根をおろし,成長した比較的新しい分野である.
 このBasic scienceは解剖学,生理学,人類学,発育,成長などを総合して1つにしたものである.さらに生化学や微生物学を加えて歯・口腔・顎系統機能の実際面をとりあつかっている.
 Becksはドイツ生まれで,ロストック(Rostock)大学(1919年に創立されたドイツで最も古い大学の1つ)歯科(医)学科を卒業した.Dr. med. dent.(歯学博士)の学位論文は,出血素質の分類に関するものであった.このことが刺激となって全身疾患の口腔症状を研究するために医学課程に進み,1924(大正13)年にDr. med. (医学博士)を取得した.Becksはアメリカ合衆国,カリフォルニア州の歯科医師試験に合格してアメリカ市民になっている.
 彼の基礎的研究は,齲蝕要因の1つである唾液分泌とその成分を知ることから始まった.その結果,齲蝕症の最も有効な予防法は歯や口腔に対する糖質の制限と適切な歯や口腔の清掃法を組み合わせることが基本的に重要であると指摘した.この研究結果は現在も認められている.
 彼はまた,人間の生物学的基本原則と一般医学の基礎科学を歯科医療に適用させる“Dental Medicine”の概念を提唱した.この概念の範囲に関するBecksの独創的考えはカリフォルニア大学で1939(昭和14)年に承認された.しかし一般的にはDental Medicineの概念は受け入れられなかった.
 そこで彼は1951(昭和26)年にDental Medicineの用語と概念は,すべての歯科(医)学の基礎と医学の面を含むものではないという意味の声明を出し,口腔生物学の用語を提案した.Becksの口腔生物学の考えは広く認められている.
 このようなアメリカの近代歯科学の研究・学問の流れは,医学領域から歯科医学校,総合大学歯学部へと分離,独立した歯科学について,歯科学とは何か,というアイデンティティを考え,求める哲学が歯科学に携わる人たちに働いていたからではないかと考えられる.また歯科学の追求と発展のために,歯科医師がさらに医学を修め,あるいは医師が歯科学を修め,歯学部や歯科医師には自らアイデンティティや哲学,思想を歴史的に求め,変遷を重ねてきた落着きがあるように思われる.
 我が国においても100年来,継続してきた医歯二元論制度の在り方については,将来的在り方を自ら考え,時代とともに発展的に,状況に適合した変化をしなければならない時期に当面しているのではないか,と考えられる.かつて第二次世界大戦の最中であった昭和17年頃,全国的に起きた歯科医師による医歯一元化運動は,アメリカの歯科医学校の形式的在り方のみを模倣した歴史的経過において生じた医療的矛盾に対する指摘と改革を指向した画期的,自発的事件ではなかったか,と考えられる.
 アメリカには現況や時局にそぐわなかったり,必要が生じると歯学部の閉鎖も辞さず,調整するところがある.実例としては,1980年代の後半以降に歯学部を閉鎖した大学は,エモリィ,ジョージ・タウン,ノース・ウェスターン大学,その他2学部などがみられる.その理由には,応募学生の質の低下であり,そのような学生は歯科医療に対する責任上,入学をさせられないという考えがあり,国からの補助金の減額などがあげられている.
 2006年におけるアメリカの歯科医師数は179,595人であり,女性歯科医師数は35,444人で全体の19.7%である.2004年における我が国の歯科医師数は95,197人であり,女性歯科医師数は17,896人で全体の18.8%である.
 最近のアメリカの歯学部数は57校である.因みにカナダは10校である.2008年現在,我が国の歯学部数は29校である.
 現在,アメリカにおける歯学部入学生と卒業生との比率は入学生の約90%が卒業している.アメリカの歯学部学生の年度的推移は次の通りである.
 1)1950〜1965年(2009年からは59〜44年前)は歯学部への入学者数が3,226人から3,808人へ増加した.その間,新しい歯学部が創設され,42校から49校に増加した.
 2)団塊の世代の1965〜1978年(44〜31年前)は入学者が3,808〜6,301人へ急激に増加した(毎年平均5%増).そのため1978年には歯学部が60校に増加した.
 3)しかし,1978〜1989年(31〜27年前)には入学者数が激減し,1989年には入学者数が3,979人(2,322人減,36.9%減)となった.
 このような入学者数の減少に伴う国からの補助金の減額によって1989年には5つの歯学部が閉鎖または閉鎖の手続きに入った.
 しかし,その後,1989年からは入学者が再び,少しずつ増加し始め,2003年には4,618人(639人増)となった.この間,人口は1.2%増加しており,1歯学部が閉鎖し,3つの歯学部が創設された.
 そして1990年以降は1970年初頭とほぼ同数の卒業生の数へ推移している.

 以上のように,アメリカの歯学部や学生数は時代の状況による増減や調節が認められる(Eric S. Solomon, DDS, MA:The Future of Dentistry, ETS dental. Part 1 of a 4 Part Senies, http://www.etsdental.com/articles/future1.htm による).






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