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歯と川柳 

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[ 2008/10/01 10:44 ] 歯と川柳(大庭 健) | TB(0) | CM(0)

医・歯二元論と制度のあり方を考える 

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都 温彦
(福岡大学名誉教授・前医学部歯科口腔外科教授)


アメリカ合衆国における近代歯科学の歴史

1.近代歯科学の歴史的歩み
 ―医・歯二元論制度の意義,理念を考える―


アメリカ合衆国における近代歯科学発展の端緒は,世界に類のない歯科医学校を創立したことである.この世界最初のボルチモア歯科医学校設立の経緯は,当初メリーランド大学の医学部において医師として歯科医療を行う歯科専門標榜医を養成することであった.しかし,ハイデンとハリスが目指した理念は大学医学部の管理当局から受け入れられなかった.その理由は,医学部教育の中で歯科医学講座を設けるには歯科医療が余りにも機械的,外科的に偏り過ぎていることや,歯科医療の社会的評価が低かったことがあげられた.
 このボルチモア歯科医学校をはじめとする初期の単科としての歯科医学校を模範にして,我が国の歯科医学専門学校制度が導入された.それも,昭和3年(1928)10月に国立の東京高等歯科医学専門学校が設立されるまでは,私立の歯科医学校が我が国の歯科医師の育成教育を担っていた.
 初期のアメリカの歯科医学校(College of Dental SurgeryまたはDental School)は歯科医療をより高い医業として社会的評価を得るための努力を行った.やがて,1867年に総合大学である名門のハーバード大学に歯学部が創設されることによって,歯科医学教育を高等教育に向上する役割を果たした.そして1878年にはペンシルバニア大学に歯学部が設けられた.
 こうしてアメリカの歯科学は高い学歴のもとで研究や教育が行われるようになり,歯科医師は高い教養のある職業として社会的評価を得るようになった.また,ヨーロッパにおいてもアメリカの歯科学の名声が高まった.例えば,ペンシルベニア大学はアメリカで最もすぐれた歯科医学教育と研究機関の1つに数えられており,1941年,口腔内科学を新設しており,歯科学を医学の一部としてとらえている.
 また,当時の著名な歯学部の数指の1つにあげられるノースウエスタン大学歯学部長として1897年に就任したブラック(Green Vardiman Black,1836〜1915)は,歯科手術学,歯科病理学の教授であった.とくに器械学については天才的な能力をもっていたといわれる.また,彼は窩洞に名称をつけ窩洞形成を規格化したことで知られる.
 ブラックの歯科学に対する哲学は,自然科学すなわち物理学,化学,生物学,地学(天文学),などの知識を基礎にして,歯科技術に生物学の原則を適応することであった.そして自然科学の知識は,臨床に携わるすべての歯科医師に必要であることを強調した.このことがなければ,ただの技術者か職人にすぎないと説いた.
 アメリカの近代歯科学草創期の指導者には,医師と歯科医師との資格をもち歯科学の教育,研究に興味と情熱を注いだ人達がいた.このような人達の努力によって,歯科学の発展や歯科医師の社会的評価の向上があったことも見逃すことができない.このようなことは,新しい国であるアメリカ合衆国ではヨーロッパのように医科と歯科との間に職業的身分差がなく,新しい近代歯科学に対する興味と関心,そして新興の情熱をもった医師,歯科医師との間に分け隔てなく歯科学発展に貢献することができたことによる,と考えられる.
 まずアメリカの近代歯科学の基礎は,独立戦争のとき援軍にきたフランスの従軍軍医であり,歯科医師であった人達によって伝えられた.そして彼らによって,ヨーロッパの近代歯科学の治療術が東部に広がり,やがて医・歯二元制度を作ることになった.
 初期の歯科医療の特徴は,surgical,そしてmechanicalであった.この特徴は,現在の我が国や世界の一般的歯科医療の特徴として存在している.Surgical(外科的)な手法は口腔組織・器官に対する非可逆的な抜歯,歯牙切削,切開,切除,摘出を意味している.そしてmechanical(機械的)な手法は,補綴物や歯科矯正治療,顎骨骨折・歯周病治療における固定装置などの器具,器械を用いる治療技術を意味している.





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