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歯と川柳 

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[ 2007/09/12 12:47 ] 歯と川柳(大庭 健) | TB(0) | CM(0)

歯科医療ななめ読み 

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07.9月号

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地域中核病院で起きた事件の重大さ

尾崎哲則 
(日本大学歯学部医療人間科学教授・歯学部附属歯科衛生専門学校校長)
 8月の中旬以降,歯科関連の記事が新聞を賑わしている.そのなかで,藤枝市立総合病院(654床)での歯科口腔外科のインプラントに絡む診療報酬の不正請求は,大きな事件であろう.不正請求の結果として,医科も含めた市立総合病院という医療機関に対して,厚生労働省と静岡社会保険事務局は,健康保険法に基づき,同病院の保険医療機関の指定を10月1日から取り消す方針を固めた.地域の中核公立病院が保険医療機関の指定取り消し処分を受けるのは,極めて異例のことである.
 違法行為が原因で保険医療機関の指定が取り消しされた例はあるが,これだけ大きな規模の病院で,しかも地域の中核病院で,不正請求の事実が判明したのはおそらく初めてである.保険診療ができない間の入院・通院患者の転院受け入れ先探し1つをとっても,市内の病院だけでは到底対応できないと考えられる.保険医療機関としての指定が取り消されれば,患者は医療保険が使えなくなり,事実上再登録されるまでは,この病院は利用できないことになる.
 同病院では,歯科口腔外科で過去5年間に少なくとも延べ約2,500人分,総額約1億2,200万円のインプラントにかかわる不正請求をしていたという.不正分の返還にあたって,同病院は「当病院に重大な過失があった」と判断.患者には負担を求めず,健康保険組合などが同病院に支払う診療報酬と相殺する形で,すでに大半を自主返還したという.
 取り消し期間は5年だが,影響が大きいため,厚労省などは処分後に改善計画を提出させたうえで,1か月での再指定も検討しているという.不正分の返還などは,市外や県外の患者分も含めて藤枝市が負担することになりかねないため,市民から批判が強まる可能性もある.
 なぜ,これほどのインプラントの症例をこの病院で行ったのかは分からないが(口腔インプラントセンターを診療科に掲げていることも含め),本来,地域医療での中核となる地域支援病院の位置づけを考えると,この歯科口腔外科は病院内での業務のあり方や他科との連携についてどのようであったのであろうか?
 医療政策の中で今後さらに求められるであろう地域連携との関連はどのようであったのであろう.地域における医療機関の機能分化について考えることも必要であると考えられる.
 今回の事件は,病院歯科のあり方に,一石を投じているような感じがする.
 

医歯二元論と制度のあり方 

'07.9月号

医・歯一元化運動の広がりと終焉(4) 


都 温彦
(福岡大学名誉教授・前医学部歯科口腔外科学教授)

 ここで医・歯一元化運動の背景にある我が国の昭和17年前後における当時の教育制度について振り返ってみることにしたい(参考資料,今田見信・正木正:日本の歯科医学小史.医歯薬出版株式会社,東京,1~35頁,昭和52年).
 昭和16(1941)年12月8日に勃発した第二次世界大戦は急速に戦時教育体制をとらざるをえなくなった.昭和18(1943)年からは決戦体制がとられた.教育全般が非常時に備えて戦時教育令が公布され,学校教育はほとんど停止されるという措置がとられた.
 研究機能も戦争の目的にかなう研究へと動員された.中等教育では配属将校による軍事訓練の強化と,勤労作業そして戦時生産の増強のために学徒が工場その他の場所に動員された.高等教育は理科系系統の教育を急速に拡充し戦時体制に即応させた.
 大学も理科系統の拡充と在学年限の短縮を計り,昭和18年(1943)年からは戦時編制を行い,ほとんど学校としての機能を停止するような実状であった.とくに重大な結果を生じたのは学徒動員であった.文科系の大部分の学生は学業を中断して戦場へ向った.
 そして修業年限の短縮は臨時措置として昭和16(1941)年度から行われた.大学,専門学校の修業年限は3カ月短縮された.昭和17(1942)年3月の卒業予定者は昭和16(1941)年12月に卒業させることになった.しかし中学校はそのままであった.このような修業年限の短縮は毎年行われ,昭和18(1943)年には高等学校高等科,大学予科の修業年限は2年に,中等学校の修業年限は5年を4年に改め,同年4月に入学する生徒から,これが実施された.
 しかし,この実施は昭和20(1945)年8月15日の終戦とともに廃止された.昭和21(1946)年2月に大学令が改正され,高等学校高等科,大学予科は3年,中等学校修業年限は5年にそれぞれ元のように改められた.
 このような状況のなかで,それぞれの歯科医学専門学校も昭和16(1941)年12月に繰り上げ卒業を行い,翌昭和17(1942)年からは卒業を9月とし,それは昭和20(1945)年まで続き,終戦翌年の昭和21(1946)年からは10月となった.
 昭和18(1943)年に遡ることになるが,その年の5月29日,文部省で開催された歯科医学専門学校の校長会議では基礎医学教育の教授を強化することになった.文部省専門教育局からの指令によって昭和19(1944)年4月から歯科医学専門学校の教育要綱と学科課程の全面的改正が行われることになった.すなわち3カ年間に講議と実習を完了し,第4年学年は臨床実習だけとなり,3カ年間に医学専門学校の第2学年までの課程を全部修学することであった.
 そしてノート主義を廃し,教科書を用いて短時間で能率的に授業すること,普通学科と基礎医学,臨床医学の中心である内科総論と外科総論は医学専門学校と同じ程度のものを課し,臨床医学の各論と厚生医学の時間数を軽減して,この時間を歯科医学に当て,教授する方針が示された.
 また政府は昭和18(1943)年10月に文科系大学と専門学校の徴集(召集)猶予を停止し,同12月に教育に関する戦時臨時措置に基づく学校整備要綱を決定した.しかし医学,歯科医学,薬学の学校の卒業生については医療関係方面での人員不足を補充するために徴集猶予の停止は適応されなかった.
 -歯科医師に対する医師免許の特例- 昭和18(1943)年5月27日付で日本歯科医師会は,歯科医学専門学校卒業生を医学専門学校の上級に入学させるよう上申書を厚生,文部両大臣に提出した.
 その要旨は現在,歯科医学専門学校卒業生が医師になる道は,1)医科大学に入学し,4カ年の課程を修め医学士になること,2)2,3の私立医学専門学校の上級(5年制の医学専門学校では第3学年)に編入して2カ年の課程を修め卒業すること,であった.前者は進学の門戸が極めて限定されていた.後者は入学を許可する学校が甚だ少数であるのが現状であった.これによると,すでに少数ではあるが歯科医学専門学校卒業生に医師になる道が開かれていたことが分かる.
 しかし,歯科医学専門学校の卒業生が医師になるためには,医学専門学校へ編入してから2カ年の課程を修め,卒業しなければならなかった.このことから学歴の年数は医師になる方が歯科医師より長かったことが分かる.
 昭和19(1944)年4月に,官立の東京高等歯科医学校は,校名を東京医学歯学専門学校と改称し医学科を設置した.これは医師増員という国の計画によって設けられた現在の東京医科歯科大学である.ほとんど同じ時期に,公立九州歯科医学専門学校も福岡県立医学歯学専門学校と改名し,医科を併設した,この医学科の併設は4カ年で終わっている.
[ 2007/09/12 12:27 ] 歯と川柳(大庭 健) | TB(0) | CM(0)



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